古田敦也/Atsuya Furuta
プロ野球ヤクルトスワローズの古田敦也捕手が、来シーズン(2006年のシーズン)から監督を兼任する可能性が出てきた。
ヤクルト球団の多菊善和球団社長が、2005年1月13日、私見とした上で古田選手について「来年も現役一本というのは難しいのではないか。うちで一番有名だし、選手兼任監督も選択肢のひとつ」という主旨の発言をしたとのこと。
古田選手は、1965年生まれで今年8月6日には40歳になる。立命館大学を卒業後、社会人のトヨタ自動車を経て(トヨタ自動車では野球の活動のほかに社内の特許関係の仕事をしていたと、ある関係者から聞いたことがある)、1990年にドラフト2位でプロ入りし、ヤクルトの中心選手として活躍してきた。ヤクルトで監督をしていた野村克也氏が、彼に捕手としてのインサイドワークを叩き込み、古田選手はそれをしっかりと吸収した。今では違和感はなくなったが、古田選手の入団当時、プロ野球の捕手で眼鏡をかけているのはやや珍しかった。プレーをする上で眼鏡をかけていることが活躍の範囲を制限するのではないかと言う見方もあったようだが、そのような雑音を気にせず跳ね返して実績を築いてきた。
2004年のシーズンで古田選手が存在感を出したのは、選手としてよりも、プロ野球選手会長としてのほうが大きかったかもしれない。球界再編の動き(「プロ野球再編問題」も参照)の中で、選手として試合に出場する合い間に、選手会長として経営側との交渉を行い、プロ野球史上初のストライキを実行したりもした。我々一般人側からは舞台裏は完全には見えないが、単なるストライキ戦術だけではなく、ライブドアあるいは楽天という新規参入希望企業が出てきたりしたことによって球団数削減をとりあえず防いだのは、古田選手会長と彼のブレーンの力によるところも大きいのではないか。
そのような古田選手であるので、遅かれ早かれヤクルトの監督に就任するであろうことは数年前からの既定路線となっている。あとはその時期の問題だけだった。
ところで、ここからは全くの私見なのだが、古田氏を単に一球団の監督にしてしまって良いのだろうか。彼のキャリアの通過点としてはそれも必要かもしれないが、監督(つまりマネージャ)に就任するということは一時的にせよ彼の球団経営者側に対する発言力が今よりも低下することになる可能性もある。今、日本のプロ野球が改革を必要としていると言うことは、昨年、さんざん論じられてきた。楽天とソフトバンクという資金源が確保されたということだけで問題が解決したわけでは決してない。古田氏には、単にヤクルト監督としてより、それ以上のプロ野球全体の活性化つながる動きのキーパーソンのひとりとしての活躍も期待したいと個人的に思う。
そういう古田氏が、2004年12月25日から、So-net上で、「古田敦也公式ブログ」(URLは下に記載)を開設している。本人はまだ「ブログ初心者の僕が何を書いていいかわからず」とか書いているが、頭の良い彼ならば遠くないうちにブログというメディアが持つパワーやその特性を理解することだろう。野球の現場や、選手会や、プロ野球機構のことなど、古田氏の視点からいろいろ書いてもらえることを期待したい。
※ 古田敦也公式ブログ
※ ブログ
※ 日本プロ野球70年史(ベースボールマガジン社)
(c) 2005, zig zag road runner.
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