阪神タイガース優勝
2005年9月29日(木)、甲子園球場での阪神タイガース 対 読売ジャイアンツの試合、前日までにマジックナンバー「1」としていた阪神が勝ったため、阪神の2年ぶりのセ・リーグ優勝が決定。
優勝を決めたこの試合は、阪神の今年のゲーム運びを象徴していた。
先発投手は下柳。被安打4で無失点ながら、6イニングの責任を果たすとさっさと降板。あとは、JFKトリオでゲームを締めた。
先制点を挙げたのは金本の安打。ウィニングボールとなるレフトフライを最後に捕ったのも金本。
岡田監督は、就任2年目。昨年の低迷などでいろいろと言われながらも思うようなチーム作りをして、きっちりと結果を出した。
TVでの人気や観客動員力においても、ホームゲーム/ビジターゲームとも、ライバルのジャイアンツを上回っていたと思われる。
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2003年のシーズンは、阪神ファンは異様に盛り上がっていた。何せ、前回優勝の1985年から既に18年経過。その前の優勝が1964年。20年に一度程度しか経験できない優勝。1990年代の暗黒時代。「生きているうちに見られる最後の優勝かもしれない」という言葉は、半ば冗談で、半ば本気で、阪神ファンの間で交わされていた。
2005年、阪神ファンは、やや落ち着いてじっくりとタイガースの活躍を楽しんでいた。「生きているうちに見られる最後」と思っていたものが、また2年後にやってきたのだから、「熱狂」とは違う感じ。それを表していたのが、ネットオークション(Yahoo!オークションなど)での観戦チケットの相場価格。これが実際の需給バランスに基づいたマーケットプライス。2005年の価格は、2003年のだいたい30%~50%くらい。
2005年の勝ち方は、2003年とも2005年とも違った感じだった。
最も特徴的なのは、やはり通称「JFK」。藤川球児(F)、ジェフ・ウィリアムス(J)、久保田智之(K)のトリオ。藤川とウィリアムスは、従来の呼び方だと「セットアッパー」ということになるのだろうが、何となく「クローザー」。3人まとめて「クローザー」という感じ。
9月29日までの記録では、6回終了時にリードしていたゲームでは、最終的に71勝3敗2引分、勝率.959という驚異的な数字。
佐々木主浩(元・横浜ベイスターズ、元・シアトルマリナーズ)のようなひとりだけのクローザーではできなかった、終盤3イニングの組み立てをパターン化できたことは、野球というスポーツにとっても画期的なこと。
37歳の下柳は現在ハーラーダービートップの14勝だが、もしこのままいくと、17年ぶり2人目の規定投球回数に達しないシーズン最多勝投手となる。
打線では、フル出場の金本が4番に固定され、5番今岡が打点王を狙う。四球の多い金本が塁に出て今岡につなぎ、今岡が走者を掃くというパターン。打線のつながりができたことが大きい。今岡を2塁から3塁にコンバートしたことも、成功だった。
個々のゲームの采配だけでなく、シーズン開始前に描いたやや大胆なチーム構想が見事に当たったという点で、岡田監督は、野村監督とも星野監督とも異なる快挙を成し遂げたといえる。
© 2005, zig zag road runner.
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Comments
トラックバックありがとうござます。
色々勉強になりましたです。
何かあればまた好奇心赴くままに訪問します!
Posted by: tsuji | Monday, October 03, 2005 15:57