千葉7区補選で、民主党・太田氏が当選
2006年4月23日、衆議院議員 千葉7区補欠選挙が行なわれた。
この選挙は、事実上、民主党の太田和美氏(26)と自民党の斎藤健氏(46)=公明党推薦との一騎打ち。また、民主党に小沢一郎代表が就任してからの初の国政選挙だった。
結果は、千票足らずの僅差で民主党の太田和美氏が勝利。杉村太蔵 議員を下回り、現時点で最年少の国会議員になった。庶民派・太田氏 対 エリート・斎藤氏 になったことや、様々な要因でこのような結果になった。
偽メール問題というアクシデントによって、民主党前代表の前原氏が辞任。その結果として「選挙上手」と言われる小沢氏が代表に就任したのだから、自民党としては、大きな戦略で結果的に失敗しているとも言える。このあたりは、ある種ケイティックな展開の結果。
勝ったのは小沢・民主であり、菅直人氏らも含めて党をひとつに結束できた民主の総力が発揮されたと言えよう。
では、負けたのは誰か。自民党の小泉現総裁のようであるが、実はそこのところが明確になってきていない。一般人としてこの選挙を見ていて、小泉氏の影は非常に薄かった。それが、小泉氏が意図したものであるかどうかはわからないが。
自民党の現幹事長の武部氏のこの選挙に関する責任が今後追及されるのかもしれないが、追求されたところで所詮、武部氏はもともとそれほど大きな存在ではない。
小泉氏が9月で総裁退任することになっており、自民党の中にも力学的な空白が存在するように感じられる。そして、小泉氏の後を争うとされている安倍氏や福田氏も、それぞれ毛並みの良さは感じられるが、小泉氏の後釜としては今後とも小さく見られてもしかたがない。逆に言えば、それほど小泉氏というのは、自民党において、大きいとか小さいとかいうよりも、それらを超えた特異な存在だったと言える。
思い出してみれば、小泉氏は「自民党をぶっ壊す」という公約で臨んでその党の総裁に就任した。このこと自体、政治において特異である。そして、とりあえずはその特異性を時代が要求していたような部分がある。小泉氏にとっての頂点は2005年9月の総選挙だったかもしれない。独特の戦術により、自民党が大勝利を得た。
この特異点が消えるとき、いまや日本人の多くを占める改革願望は、自民党・民主党のどちらに味方するのだろうか。
そういうことを考えさせる、補選であった。
© 2006, zig zag road runner.
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Comments
zig zag roadさん
コメントありがとうございました~。
雷電
Posted by: 雷電 | Tuesday, April 25, 2006 22:05